『通訳理論研究 11』第 6巻 2号 (1996:27-44) 


 

通訳訓練手法とその一般語学学習への応用について

〜第47回通訳理論研究会報告要旨〜
 

染谷泰正
 

1996年6月30日

 


はじめに
昨年の 6月に行われた第39回通訳理論研究会では、本日の議題の前段として「日本における通訳者教育の問題点と通訳訓練に必要な語学力の基準」というテーマでいくつかの問題提起を行いました。前回の報告では、日本における通訳者教育は、多くの場合「通訳技能の習得」と「語学学習」という2つの側面を同時に併せ持っており、通常は後者により多くの比重を置かざるを得ないというのが実情であるということを確認しました。こうした状況の中で、現場の講師は、一方で生徒に通訳そのものの訓練を施しながら、もう一方で、いかにして生徒の語学力を効果的な通訳訓練が可能になるレベルにまで引き上げていくかという矛盾した課題を背負いながら指導に当たっているわけですが、このような状況においては、通訳訓練と語学学習のいずれにポイントを置くにせよ、とうてい効率的な授業ができるとは思えないわけです。

そこで、前回の研究会では、効果的な通訳者養成訓練を可能にするための前提条件として、まず訓練対象者の選抜基準の見直しが必要であることを提案し、その選別基準、およびその基準を満たす生徒に対する本格的な通訳訓練のカリキュラムについて私見を述べました。この提案の趣旨は、通訳訓練の場から原則として「語学学習」の要素を切り離すことによって、より効率的な、あるいは「通訳訓練」と呼ぶにふさわしい内容とレベルの教育を可能にしようということであったわけですが、この提案は必然的に次の2つの問題を提起することになります。

  • 「通訳訓練」とは、前回述べたような基準を満たす生徒を対象に、通訳という作業そのものについて訓練し、その習熟度を高めることを目的に行うものだとして、具体的には「何を」「どう」教えるのか。
  • この基準に満たない大多数の生徒に対する「語学学習支援」をどのように行なっていくか。 
このうち、最初の問題について私がどう考えているかということは前回の報告の中でその概要をお話しさせていただきました。もちろん、あくまでも概要ということでしたので、これについてはまた別の機会に、できれば具体的なトピックごとに、より詳しい議論をしてみたいと思っています。例えば、これは先月の研究会でも少し話題になりましたが、逐次通訳における中核的スキルのひとつである「ノートテイキング」をどう教えるかについての議論などは、単にメモの取り方という技術的な問題を超えて、通訳という作業の本質を考える上で重要なヒントを与えてくれるものと思います。

で、今回はもうひとつの問題、つまり「語学学習」という点について議論を進めていきたいと思うわけですが、前述のとおり、日本で行われている通訳者養成訓練は、一部の例外的なケースを除けば、通訳者としての専門的なスキルやノウハウを習得するというよりは、むしろ、さまざまな<通訳演習>を通して生徒の全般的な語学力(とりわけ聴解力)を強化するという点に当面の目標を置かざるを得ない状況の中で行われているわけです。こういう状況の中で行われてきた通訳訓練なるものが、その本来の目的である通訳者の養成という点でどのくらいの成果を挙げているか、あるいは現行の訓練方法なりカリキュラムなりが通訳スキルの習得という点でどのくらいの有効性があるかという問題は別として、少なくとも生徒の語学力の強化という点では、かなりの成果を挙げてきているという実感があるわけです。まあ、これは私だけではなくて、通訳者教育にかかわっている先生方はほぼ例外なくそう感じておられるように思うわけですが、だとすれば、現在の通訳訓練のどういう部分が、どのような理由で「語学力強化のための学習法」として有効であるのかを明らかにすることによって、多少なりとも通訳者の養成に携わっているわれわれの側からのフィードバックとして、一般の語学学習者に対して提言できることがかなりあるのではないかと思うわけです。前置きが長くなりましたが、以下、このような観点から議論を進めていきたいと思います。

いわゆる「通訳訓練手法」について
まず議論のとっかかりとして、現在一般に通訳訓練の場で採用されているおもな訓練法あるいは訓練項目にはどのようなものがあるかを簡単に整理しておきます。次ページの表は、一般に通訳者養成のためのスタンダードな訓練項目と考えられているものをリストアップしたもので、便宜上、3つのグループに分けてあります。[1]

このうち、最初のグループにある4つの項目は通訳者が仕事として実際に行なう「通訳」のシミュレーション演習であり、通訳訓練とは要するにこの4つの項目にかかわる訓練を指して言うわけです。もちろん、すでに述べたとおり、この4つのタイプの通訳訓練をそれぞれ通訳訓練として効果的に行うためには、生徒の語学力―あるいは、もう少し広く「言語運用能力」と言うほうがより適切かと思いますが、これがある一定のレベルに達していることが前提条件になります。

2つ目のグループは通訳者に必要な「個別技能」の訓練を目的として行われている項目を列挙したものです。例えば、逐次通訳のためには9番目の「ノートテイキング」と10番目の「大意要約(要訳)」の能力が必要不可欠なわけですから、これは通常の逐次通訳演習とは別に個別的な訓練をして、その基本的なスキルを習得してもらうわけです。同じように、12番目の「文頭からの訳出技法の習得」は同時通訳にかかわる必須の訓練項目であり、11番目の「スラッシュ・リーディング」は、「文頭からの訳出」の前提となる「文頭からの理解」を促進するための方法として、また、通訳の一形態としてのサイト・トランスレーションのための実践的な訓練方法として欠かすことのできない項目であり、いずれも個別的な訓練を必要とします。また、13番目の「デリバリー」は、通訳を行う際の発声法や音量および発話速度のコントロールなどを含む「伝え方」の訓練として、これも必須の訓練項目だと言っていいと思います。

 
A   通訳演習
1.  逐次通訳演習
2.  サイト・トランスレーション演習
3.  同時サイトラ演習
4.  同時通訳演習
B   個別技能訓練
5.  シャドーイング [= 同時リピーティング]
6.  リテンション=リプロダクション [= 逐次リピーティング]
7.  クイックレスポンス
8.  パラフレージング
9.  ノートテイキング
10. 大意要約 [大意要訳]
11. スラッシュ・リーディング [SGリーディング] 
12. 文頭からの訳出技法(=通訳文法)の習得
13. デリバリー
C   その他
14. 音読とプロソディー分析(プロソディーセンスの養成と音声学上の基礎知識の確認)
15. 区切り聞き/訳(スラッシュリーディングの音声版。「文頭からの理解」の強化訓練の一環)
16. スピードリーディング(英文文字情報処理能力の強化訓練)
17. ブラックボックスリーディング(未知語への対応力強化訓練)
18. ディクテーション(リスニングにおける弱点の認識と補強。基礎的な音声学の学習)
19. 語彙増強(特に決まった訓練方法はないが、何らかの形で必ず取り入れられている)

表1 通訳訓練の中で採用されているおもな訓練/指導項目

問題は5から8の各項目ですが、この4つはいかにも通訳訓練的な雰囲気を持っていまして、一般には通訳訓練の代表的な手法であると考えられているわけです。しかし、実際にはこれらの各項目は、通訳とか通訳能力とかいうものとはごく間接的な(例えば、集中力や反射神経を強化するのに効果があるといって「ファミコン」を推奨するようなレベルの)相関関係しか認められないように思います。まあ、それでも多少の相関関係があればいいほうで、場合によっては、これらの訓練は生徒にとって何の利益もないばかりか、むしろ、通訳訓練という観点から見た場合、やればやるほど害になるという可能性をもった訓練項目、ないし手法だと思います。

例えば、5番目の「シャドーイング」ですが、これは一般に「同時通訳の基礎訓練」と称して行われており、しかも、後述のとおり、おおむね必須の訓練項目とみなされているわけです。しかし、これはどう考えても誤解、あるいは何らかの誤解に基づいた拡大解釈と言わざるを得ません。まあ、やりかたによっては同時通訳の周辺的な能力の訓練にはなると思いますが、本質的には通訳とはほとんど何の関係もない訓練項目です。この点については、かなり異論があると思いますので、また後ほど詳しく議論したいと思います。

6番目の「リテンション=リプロダクション」は、通例、通訳者に必要な「短期記憶容量」を増やし、あるいはその能力を強化するためと称して行われているもので、あるセンテンスを聞いて、これを一時的に記憶 (retain)し、ただちに原文をそのまま再現 (reproduce) させるという訓練です。普通は、まず10語から15語程度の短いセンテンスから練習を始め、 次に20語から30語程度というように、だんだんと負荷を多くしていきます。

通訳をするに当たっては、発話の内容を一時的に記憶しておく必要があるわけですから、その意味ではこの訓練はいかにも正当なものであるように見えます。しかし、よく考えて見れば、この訓練は発話の「内容」よりも、その表面的な「形態」の記憶と再現に重点を置いた訓練であるという意味で、通訳の本質から離れた作業であると言わざるを得ません。通訳に当たって重要なのは「言葉から離れる」ことであって、発話の表層構造にとらわれることなく、いかにその意味内容を的確につかむかというのが通訳訓練における最も重要な指導ポイントのひとつであるわけですが、このように指導する一方で、まさにその基本的な立場に逆行するような訓練を施すというのはいかにも矛盾していると言わざるを得ないわけです。

また、実際問題として、この訓練によって「短期記憶容量」なるものが増えたり、記憶力がよくなったりすることがあるのかという点についても、大いに疑問があります。まあ、百歩譲って、仮にこの訓練によって、前後の文脈なしにそれぞれ単独で提示された30語や40語の例文をそのまま機械的に記憶し再現する能力がついたとしても、それはただそれだけのことであって、通訳者としての能力にはほとんど何の関係もありません。もちろん、そういう能力があれば通訳者として有利であろうことは想像に難くないわけですが、そういう能力がなくても、よい通訳者になることは十分に可能であるわけです。[2]

7番目の「クイックレスポンス」訓練は、いわゆる「ヘンドリクス・メソッド」(Hendrickx, 1971) に準拠したもので、通訳教育のごく初期のころから盛んに取り入れられてきたものです。ご存じのとおり、この訓練には語句レベルの即応訓練と、センテンス単位の即応訓練とがあります。前者は、ある一連の語句群をテープに録音しておき、生徒はこれを聞きながら、ひとつづつ順番にそれぞれの語句に対応する日本語(または英語)に即座に置き換えていくというものです。[3]

この訓練は、言葉に対する反応力 (agility) を鍛える目的で行うわけですが、通訳者にとって最も重要なのはひとつひとつの語句に機械的に反応することではなく、コンテクストに応じて柔軟に訳語を生成する能力であるという観点からすれば、この訓練も先ほどの「リテンション=リプロダクション」と同じく、通訳の本質から離れた、あるいはそれに逆行する訓練であると言わざるを得ません。つまり、この訓練は必然的に1語1義的な反応を要求するという意味で、やればやるほど言葉そのものにとらわれてしまう悪癖を強化してしまう恐れがあるわけです。[4]

一方、 センテンス単位のレスポンス練習(英文→和文または和文→英文の即訳練習)は、言葉そのものでなく、その「意味」に対応する訓練として行う場合に限り、一定の有効性があると思います。また、これは前述の「リテンション=リプロダクション」と違って、A言語からB言語、およびその逆方向への転換作業を含むという意味で、より通訳の実態に近い訓練ということができます。もっとも、一部で行われているような曲芸まがいの訓練、例えばあるセンテンスを聞いた後、次のまったく内容的に関連のないセンテンスを聞きながら前文を訳出したり、訳出のタイミングを1センテンスから数センテンスずつずらしていくといった訓練―これも、通常は「同時通訳」のための準備的訓練と称して行われるわけですが―こういう訓練は、ゲーム的な面白さをクラスに導入することで生徒の授業参加への意欲を促進するといったこと以外には、特に何らかの意味や実際の効用があるとは思われません。

次に、8番目の「パラフレージング」ですが、これはその具体的な訓練内容や目的について指導者の間でかなり違いがあります。ここでは、ひとまず「あるセンテンス(またはパラグラフ)を聞き(あるいは読み)、その内容を自分の言葉で言い換える訓練」という定義で話を進めていきます。[5]「自分の言葉で」というのは「(できるだけ)原文にある語句や構文をそのまま使わずに、同じ内容を別の表現を使って再現する」という意味です。「同じ内容を」というのは、原文と言い換え文との情報価値が原則として等価でなければならないという意味です。

通例、この訓練の第一の目的は「多様な表現力の養成」ということになっています。その限りでは特に問題はないように思えるのですが、通訳という観点から見ると、そもそもある発言をわざわざ「別の表現」に置き換える必要(および、その正当性)があるのかどうかという疑問があります。まあ、実際問題としては、われわれが通訳なり翻訳なりをする際に「パラフレージング」を訳出上の戦略として採用することはしばしばあるわけですが、通例、これは困ったときの緊急避難的な処置として採用するわけです。通訳をする場合、相手の発言を通訳者が意識的かつ意図的に言い換えることなく、そのまま “literal” に通訳できれば(もちろん、それで意味がきちんと通じるならば、という条件付きですが)おそらくそれが一番いいわけで、意図的な言い換えとしての「パラフレージング」を通訳の基本的な手法のように考えたり、それによって通訳の質がよくなるかのように指導したりするのは、筋違いだろうと思います。

一般に、「パラフレージング」訓練における指導・評価の基準は、アウトプットの情報としての正確さよりは(あるいはそれに加えて)、それが日本語、ないし英語として、より「こなれた」表現や「しゃれた」表現になっているかどうかというところに置かれるわけです。したがって、たとえ情報として正確であっても、原文どおりの “literal” な通訳は評価されず、「表現力」の不足、ないし未熟さの証として教育的指導の対象になります。また、「多様な表現力の養成」ということを訓練の目的とした場合、しばしばオリジナルよりも難しい語彙と複雑な構文を使って言い換えるということが起こってきます。単なる「同義語」による置き換えから、いわゆる「エレガント・バリエーション」による言い換えへと、だんだんエスカレートしていくわけです。

ちなみに、私の個人的な印象としては、昔の、というと怒られますが、通訳者として相当の経験を積み、実績・能力ともに兼ね備えた古参通訳者の方々の中には、「エレガント・バリエーション派」がかなりおられるように思います。この点について、この通訳研究会の世話役のお一人である水野さんは、「実際、通訳の世界では、原文で使用されている言葉や構文をできるだけ使わないことが、よい通訳、こなれた訳として賞賛される傾向」があり、「この考え方は、多くの通訳者や翻訳者の間に強力に根付いているといってよい」[6] と述べておられますが、現在、民間の通訳学校や大学の通訳コースで教えておられる指導者の多くがそのような考えを持っているとすれば、「パラフレージング」が通訳訓練の手法のひとつとして積極的に取り入れられているのはごく当然のことだろうと思います。

結局、「パラフレージング」をどうとらえるかは、それぞれの「通訳」というものに対する考え方によるわけですが、仮に、通訳者は「オリジナルへの忠実さ (fidelity)」をその基本姿勢とすべきであるという立場に立てば、いわゆる「パラフレージング」は必要最小限に抑えるべきものであるということになります。[7] したがって、通訳訓練の場で「パラフレージング」について指導するとすれば、いわゆる「多様な表現力の養成」という観点からの指導―この場合、「パラフレージング」は多様な表現力の具現化、あるいはその試みとしてむしろ肯定的に評価される対象となるわけですが―そういう立場からの指導ではなく、前述のとおり、「緊急非難的手法としてのパラフレージングの技法」[8] という立場からの指導が望ましいのではないかと思います。そうすることで、「パラフレージング」というものを、これまでのような単なる「言い換え練習」から、それ自体でひとつの有効な「通訳技術」として位置付け、その技法を何らかの形で体系化していくこともできるのではないかと思うわけです。

*
だいぶ長くなりましたので、ひとまずこの辺で「個別技能訓練」についての話は終わりにします。十分に議論を尽くしているとは思いませんが、シャドーイング、リテンション=リプロダクション、クイックレスポンス、パラフレージングという、通訳訓練における代表的な4つの訓練項目が、いずれも実際には相当な問題を孕んでいるという点についてはご理解いただけたのではないかと思います。問題を孕んでいる、というのはかなりマイルドな表現で、もう少しはっきり言えば、これらの訓練項目は、おおむね通訳とか通訳技能とかいうものとはほとんど無関係であるばかりか、やり方によってはむしろ大いに有害でさえあると言ってもいいわけです。

こういうことを主張しているのはもちろん私だけではありませんで、例えば通訳訓練における「シャドーイング」の有効性や妥当性については、欧米の研究者の間でも疑問を呈している人が少なくないわけです。これはほかの項目についても同じですが、にもかかわらず、なぜ日本では相変わらずこれらの個別技能訓練項目が、通訳訓練における主要なアイテムとして重視され続けているのか。答えは簡単です。つまり、これらの訓練項目ないし手法が、いずれも「英語力強化のための学習方法」として一定の効果があるからです。すでに述べたとおり、日本では通訳訓練は常に語学学習の延長線上にあったわけで、授業の中では、たとえ通訳ということとは直接的な関連がないと思われることでも、そのベースとなる語学力を強化するために有効なものは、さまざまな指導上の工夫を凝らしながら、いろいろと取り入れてきたわけです。先ほどの4つの個別技能訓練項目などは、まさにその代表的なものと考えていいわけですが、とすれば、むしろ、これらの訓練項目を「通訳訓練」の手法としてではなく、「英語力強化のための学習方法」として積極的に位置付けていくことによって、一般の英語学習者、あるいはその指導に当たる教師に、これまでにない有効な学習・指導手法として提案していくことができるのではないかと思うわけです。以下、この点について、特に「シャドーイング」を中心に具体的な議論を進めていきます。
 
「シャドーイング」について
前述のとおり、「シャドーイング」は一般に通訳訓練の中でかなり重要な項目のひとつだと考えられています。例えば、民間のある通訳学校が数年前に行ったアンケート調査(通訳訓練に携わっている現役通訳者を対象に行ったもので、その結果は本研究会でも報告されている)によれば、通訳訓練の一環としてシャドーイングを採用している講師が全体のおよそ70パーセント(有効回答数21名のうち14名)で、その全員がシャドーイングは毎回の授業で行うべきであると答えています。また、同時通訳訓練の初期段階で重点的に行うべきものは何かとの問いに、半数以上の講師がシャドーイングを挙げています。この調査結果は、現在、通訳者教育に携わっている人たちの多くが、シャドーイングと同時通訳との相関関係を認めたうえで、シャドーイング練習が同時通訳能力の向上につながると考えていることを示しています。

5〜6年前に上智大学の先生方が中心になって行った通訳訓練に関する研究がありますが、この研究報告書では、上記のような現状を踏まえたうえで、シャドーイングを「単に言語音を繰り返す練習ではなく、聞くことと話すこと、あるいは聞いて理解しながら同時に発話も行えるようにするという作業の分化を可能にする訓練方法」[9] であると定義しています。ここでは、「聞きながら話す」という2つの異なったタスクの同時性を同時通訳の重要な本質のひとつととらえ、シャドーイングはその能力を身につけるための有効な訓練方法であると考えられているわけです。

この考え方は、多少の表現の違いこそあれ、通訳者訓練に直接・間接に携わっている人たちの間でかなり広まっているものです。例えば、昨年の第38回研究会で、ご自身の通訳訓練プログラムについて発表された熊切氏も「シャドーイングは……発音、抑揚、リズム、ポーズ、息継ぎ、発声など、通訳者に欠かせない素養を高める2次的な効果も期待できますが、何よりもリスニング、スピーキングという二つの言語運用能力の狭間で、聞こえたものを声に出すという反射神経と、内容を一時的に記憶する能力を養成する(傍点筆者)」ための訓練方法であり、「最終的には1センテンス(20語程度)の遅れで聴き取りと復唱を同時に行えるようになることが目標です」[10]と述べています。

同時通訳というのは「一連の音声情報を聞きながら、その発話の流れに沿ってほぼ同時進行的に頭から訳し下していく作業」ですから、「聞きながら話す」ということが同時通訳の最大の特徴のひとつであることは疑う余地はありません。ただし、これ自体は何ら特別な訓練を必要とするほどのものではありませんで、例えばナチュラルスピード(1分間に350±50字程度)で録音された日本語のスピーチを生徒にシャドーイングさせてみますと、ほとんどの生徒は―これは日本語を母語とする生徒の場合ですが―特にこれといった訓練なしに、ほぼ正確にシャドーイングできるわけです。まあ、初めてやる場合は多少とまどう生徒もいますが、これは単なる慣れの問題にすぎません。もちろん、日本語でやるわけですから内容の理解という点でもまったく問題はありません。いわゆる「てにをは」まで100パーセント正確にリピートするとなると多少の問題はありますが、シャドーイングの目的が「聞きながら話す能力の養成」ということであれば、こういう意味での正確さを求めるのは本筋ではないわけです。一方、彼らに英語のスピーチをシャドーイングさせた場合には、日本語のようには簡単に行きません。ただし、これは「聞きながら話す能力」の問題ではなく、個々の生徒の英語力の問題です。英語力(特に聴解力)が不足している生徒は、とりあえず原文の聴き取りのために精神資源の大部分を費やしてしまうわけですから、シャドーイングがうまくできないのはむしろ当然であるわけです。英語のlistening comprehension や articulationが自動的、またはそれに近いプロセスになっていないためにシャドーイングがうまくできない生徒―実際にはこういう生徒が圧倒的に多いわけですが、彼らを見ているとつい、だから「聞きながら話す能力」は特別な訓練を必要とする能力である、と考えがちですが、もちろんこれはまったくの見当違いです。

いずれにせよ、「聞きながら話す」ということ自体は特別な訓練を必要とするほどのものではないということは、こういう簡単な実験によっても明らかです。では何が問題になるのかと言いますと、同時通訳では、ただ聞きながら話すということではなく、その間に「A言語からB言語への転換」というプロセスが入ってきます。しかも、この「転換」を「瞬時に」かつ「原文のシンタクスに沿って」行わなければならないわけです。前回(第39回)の研究会報告でも述べたとおり、同時通訳の本質とその最大の困難さは―したがって、同通訓練の直接的ターゲットも―まさにこの点にあります。シャドーイングではこの最も本質的なプロセスがまったく無視されているわけで、どう言い繕おうとも、実際には、単に「聞こえたものをそのまま声に出すという機械的反射神経や、聞こえた内容を(深いレベルでの意味変換なしに)そのままの形で一時的に記憶する機械的記憶力の訓練」にしかならないわけです。

シャドーイング=同時通訳訓練の一環と考えている人は、シャドーイングは「単に言語音を繰り返す」のではなく「内容を理解しながら」行うべきものであると言うわけですが、内容を理解しようがしまいが、同じ語句と同じ構文を使い、同じ時間をかけてそのまま原文を復唱再現するという訓練は、前述のリテンション=リプロダクションやクイックレスポンス訓練と同じように、発話の「内容」よりも、その「表層構造」への対応に重点を置いた訓練であるという意味で、通訳の本質から離れた作業であると言わざるを得ません。[11]また、このような意味でのシャドーイング訓練は、(同時)通訳におけるA/B言語間のシンメトリーという幻想、ないし誤解を生徒に与えかねないという問題もあります。

まあ、要するに、シャドーイングと同時通訳とは、いずれも「聞きながら話す」行為であるという外見上の類似点があるだけで、本質的には、むしろまったく相反するものではないかと思うわけです。もっとも、それを承知のうえで、同通訓練の初期の段階において何らかの明確な教育意図をもってシャドーイング練習を導入していくということであれば、特に問題はありません。むしろ、適切な指導があれば、同時通訳の疑似体験としてのシャドーイングは、同時通訳というものについての理解を深めていくための、絶好の学習素材・説明材料になると思います。ただし、われわれとしては、上手にシャドーイングができる生徒を育てることが目的ではないわけですから、これも、やはりできるだけ速やかに本来の同時通訳そのものの訓練に移行していくべきだろうと思います。

以上、通訳訓練という視点から見た場合のシャドーイングの有効性や妥当性について論じてきました。結局、いくらシャドーイングをやってもそれで同時通訳ができるようになるわけではないということは明らかですが、ではシャドーイングはまったく無駄な練習かというと、そうではないと思うわけです。
 
プロソディーセンス強化のための学習方法としての「シャドーイング」
前述のとおり、現在、民間の通訳者養成校や大学の通訳コースで指導に当たっておられる先生方の多くが、シャドーイングを授業の一環として取り入れ、あるい生徒の自習課題の重要項目として推奨しています。これは、ひとつにはシャドーイングが同時通訳に必要な「聞きながら話す」という能力なり感覚なりを身に付けるのに役立つと考えられているからですが、もうひとつの理由は、シャドーイングが生徒の全般的な英語力の向上、とりわけリスニングの基礎となる「プロソディーセンス」の養成・強化にたいへん効果的な練習方法であることが、少なくとも経験上ははっきりしているからです。

このうち、最初のほうの理由については、単なる外見上の類似点に惑わされた誤解にすぎないということはすでに述べたとおりですが、おそらく大多数の先生方は、あらかじめそれを承知のうえで(あるいは、いくらかの疑いを持ちながら)、おもに後者の理由でシャドーイングを授業に取り入れているんだろうと思います。

念のために確認しておきますと、「プロソディー (prosody)」というのは、アクセント、イントネーション、センスグループ間のポーズの置き方、センテンス・ストレス、あるいは音の連結や弱化、吸収などといった現象を含むさまざまな音声要素の総称ですが、前回の報告書 でも述べたとおり、自然な談話においてはこうしたさまざまなプロソディー要素が相互に密接にからみあって話し言葉の文法的な区切りと連続を明示し、あるいは言外の意味を伝えるなど、円滑なコミュニケーションのための中核的な役割を担っているわけです。一説によると、プロソディーは自然なコミュニケーションにおける意味の伝達のおよそ30〜40パーセントを担っているとされていますが、いずれにせよ、通訳者を目指す人はもちろん、一般の学習者にとっても、英語なら英語のプロソディーセンス習得のための学習は、コミュニケーションの手段としての英語という観点からして、かなり重要なポイントであるわけです。

外国語学習におけるプロソディー要素の重要性についてはすでに前回の研究会のときに述べましたので[12]、ここでは繰り返しませんが、プロソディーセンスの養成に効果的であるということは、平たく言えば、つまり英語の音感を磨くために効果的ということで、これはほとんどの英語学習者が自分にとって最大の課題であると感じているリスニング力の向上に直接的に結び付いているわけです。

シャドーイングが生徒のプロソディーセンス養成のために有効であり、したがってリスニング力ばかりでなく、英語を英語らしく話す(ただし、かならずしもネイティブスピーカーのようにという意味ではない)という意味でのスピーキング力の向上にもつながる学習方法であることは、シャドーイングを同時通訳の基礎訓練であると定義している人たちもほぼ例外なくそう認めています。ただし、シャドーイングを同時通訳の基礎訓練として位置付けた場合、その第1の目的は「聞きながら話す」能力や、それに伴なう「反射神経」や「短期記憶力」の向上ということになり、プロソディーセンスの養成という、より本質的な学習目標を副次的なものとして扱わざるを得なくなります。先ほど引用した熊切さんのシャドーイングの定義や、上智大学の研究報告書に見られるシャドーイングの定義がその典型的な例です。熊切さんは、「(シャドーイングは)発音、抑揚、リズム、ポーズ、息継ぎ、発声など、通訳者に欠かせない素養を高める2次的な効果も期待できますが…」と述べています。「2次的」であるというのは、つまり本質的なものではなく、あくまでも「おまけ」にすぎないということでしょう。しかし、これまで述べてきたとおり、実は同時通訳に関してもシャドーイング練習に関しても、本質的でないのはまさに彼がシャドーイング練習の最終目標だとする「1センテンス(20語程度)の遅れで聴き取りと復唱を同時に行えるようになること」というようなことであるわけです。

上智大学の研究報告書では、シャドーイングは「単に言語音を繰り返す練習ではなく…」とわざわざ断わることで、「モデル音声を聞いたとおりに忠実に模倣することを通して英語の音感を体得していく」という意味でのシャドーイングは本来のあり方ではないかのような書き方をしています。[13] もっとも、この但し書きは、シャドーイングは「意味を理解しながら」行うべきであるということを強調するためのものだと解釈することもできます。つまり、シャドーイングの目的は「聞きながら話す」能力の養成であるが、その際、発話の内容を理解しながら練習を行うことが重要であるというわけです。シャドーイングを「聞きながら話す能力を養成するための訓練」と定義した場合、これはごく当然のことだと思います。仮にこの定義が妥当だとしても、そもそも、内容の理解が伴なわない「聞きながら話す」能力などというものが何の役にも立たないことは明らかだからです。したがって、この意味でのシャドーイングにおいては、まず何よりも発話の内容を理解し、そのうえで原文をそのまま復唱再現していくということが重要なのであって、いずれにせよ、ここでは発話の音韻論的な側面、つまりプロソディー要素の感知と再現という側面は、仮にその意義を認めるとしても、あくまでも2次的なものとして取り扱わざるを得ないということになります。

整理しますと、 つまり、シャドーイングは、@同時通訳者に必要な「聞きながら話す」能力を身に付けるための訓練である、という見方と、A「プロソディーセンス」の養成に効果的な練習方法である、という2つの見方がある。どう考えるかは個人の自由であるとしても、実際問題としては、どちらを第一義的とするかによって、具体的な指導・練習の方法や内容はぜんぜん違ってきます。まあ、私は@はまったく見当外れの見方だと思っていますので、Aの定義を採用するわけですが、仮に@の定義に何らかの妥当性があるとしても、一般の英語学習者にシャドーイングを薦めるとすれば、Aの定義に基づいてその具体的な練習方法を提案していくほかにないだろうと思います。以下、そういう立場から、まずはシャドーイングについてのごく基本的な理解を確認しながら、その具体的な練習方法について述べてみます。[14]
 
「シャドーイング」の目的と練習方法
英語を話すときに、個々の音をいくら正確に発音しても、全体のリズムやイントネーションが日本語的だと、こちらの言っていることがうまく相手に通じないことがあります。反対に、個々の音に日本語の母音と子音をそのまま使っていても、発話のリズム、イントネーション、センスグループ間のポーズの置き方、あるいは音の連結や弱化などに伴う音声変化といったプロソディー要素が全体として英語的になっていれば、ほとんど問題なく通じます。

このことは、音声コミュニケーションにおけるプロソディーの重要性を示唆しているわけですが、もちろん、発話だけでなく、英語の「聞き取り」においても、聞く側のプロソディー感覚の有無が決定的な役割を果たすことになります。例えば、None of us can leave as long as he stays with us.という英文があったとします。この英文は、もともと日本人が読んだ場合に日本語のプロソディーの干渉が現れやすものとして作成されたものですが、リスニングが苦手だという人にこの英文を読ませてみますと、ほぼ予想通り、これを日本語のリズムとイントネーションにのせて読んでいきます。[15] ネイティブスピーカーが読んだ場合に観察される音の連結や弱化といった自然な音声変化現象もほとんど起こりません。つまり、この英文の本来のプロソディー要素を感知し、これを再現することができないわけです。したがって、同じセンテンスを音声情報として聞いた場合にも、これを正しく聞き取ることができない、またはできない可能性がかなり高いということになります。読めばわかるのに聞くとわからないことが多い、という人はたいていこのタイプです。つまり、英語のプロソディー感覚ができていないわけです。

前述のとおり、「聞き取り」は大多数の英語学習者が自分にとって最も苦手だと感じている分野であるわけです。もちろん、リスニングといってもただ聞くことだけでは解決できない問題がたくさんありますが、おおかたの生徒にとって最大の課題はこの「プロソディー感覚」の習得です。これができていないと、いくら単語や文法を知っていても聞けるようにはなりません。プロソディー感覚を養うためには、とにかくできるだけ多く英語を聞くというのが基本ですが、ただじっと英語に耳を傾けているだけではプロソディー感覚は身につきません。聞き取った音、あるいは音声現象をそのとおりに自分で再現できて初めて身についたと言えるわけです。通常の、いわゆる只管傾聴的なリスニング学習法が思うような効果を上げていないのは、まさに、ただじっと聞いているだけという点に問題があるように思います。

では、どういう学習方法がいいのか。ここから本題に入るわけですが、要するに音の認知 (recognition) とその再生 (reproduction) が連続的にできるような方法―つまり、耳と口を同時に使うということですが、これができるような学習方法がいいわけです。これを可能にするのが「シャドーイング」です。シャドーイングの基本的な方法については、ここではほとんど説明の要はないと思いますが、確認のために要約しておくと、「テープなどに録音された音声教材を使って、耳から入った英文を少し遅れてそのまま声に出して再現復唱する練習」ということになるかと思います。ひとつひとつの語句はもちろん、センテンスごとの強弱のリズム、イントネーション、ポーズの位置と長さ、あるいは音の連結や弱化などに伴う音声変化も含め、すべてそのまま再現しながらリピートしていきます。文字どおり、聞こえてくる音声に対して影 (shadow) のようにぴったりと後についていくわけです。

シャドーイングは原則として教材テープを流しっぱなしでやるわけですから、途中でまごまごしていると、あっという間に数センテンス遅れてしまいます。遅れてはいけないという時間的制約がありますから、最後まで気を緩めるわけにいきません。また、ある語句を聞いて、間髪を入れずにこれをリピートしているときには、すでにその先の部分が聞こえ、さらにこの部分を復唱している間にその次の語句が耳に入ってくるというように、「聞く・話す」というふたつの作業を同時に行ない、さらに自分の発話のモニターも並行して行っていくわけですから、ただじっと聞いているだけよりもはるかに集中力が要求されます。この緊張感と集中力の持続がシャドーイングの効用のひとつですが、もちろんただ集中して聞けばいいというわけではありません。問題は、集中して何を聞くかという点にあります。

普通、リスニングの練習というのは内容の理解に主眼を置くわけですから、多少、聞き取れないところがあっても全体の意味さえ取れればいいわけです。しかし、シャドーイングでは耳に入ってくる音をひとつひとつきちんと聞き取れないことには口に出して再現できませんから、普段はあまり注意して聞かない(というよりは、よく聞こえない)冠詞や前置詞、あるいは be動詞や have動詞を含む助動詞などといった細かい部分にも注意して聞くようになります。したがって、通常のリスニングに較べてはるかに精度の高い聞き取り訓練ができるわけです。

また、聞き取ったことを実際に自分の口に出して再現することで、音の連結、脱落、弱化、短縮などといった英語特有の音声現象を、単なる聞き取り練習に較べてより効果的に習得することができます。さらに、シャドーイングは聞き取ったことをその字面だけ再現するというのではなく、原文のリズムやイントネーション、あるいは感情の込め方、こういったものを含む音声情報全体の聞き取り・再現練習ですから、いわゆる英語らしさ、あるいは英語的音感といったものを身につけるための最適の練習方法ということになります。前述のとおり、これがシャドーイング練習の最大の目的です。
 
シャドーイングを中心にした「プロソディー強化訓練」の方法
シャドーイングのおもな効用と目的は以上のとおりですが、次にシャドーイングを中心にしたプロソディー強化訓練の具体的な方法について説明します。練習方法としては「標準演習パターン」と「簡略演習パターン」がありますが、ここでは前者を中心に説明します。

教材の選択
まず、およそ120-160 wpm (words per minute) 程度のいわゆるナチュラルスピードで録音されたテープ教材(テキストのあるもの)を用意します。シャドーイング練習に適した録音教材のスピードは、初中級者でおよそ120-140 wpm、中上級者で140-160 wpm程度が適当です。一般に、100 wpm 以下のものは自然なプロソディーが崩れていることが多く、シャドーイング練習には不適当です。また、全体の平均が180 wpmを超えるものについては原則としてサイレントシャドーイング[16] で対応するようにします。ただし、部分的な緩急については問いません。教材の内容はニュース、インタビュー、スピーチなど、原則としてどんなものでもかまいませんが、読んで理解できることが条件です。使用するテキストの未知語率は最大 5パーセント(20語に1語)以下を目安とし、できるだけ 2.5 パーセント(40語に1語)以下のものを使うようにします。なお、1回の練習に使う教材の長さは、初中級者の場合で1分から2〜3分程度、中上級者でも3分から5分ほどの比較的短いものを対象にし、いずれも内容的にまとまりのあるものを使うようにします(長いものはパラグラフを単位にいくつかに分割して使用)。また、いろいろなテキストを少しずつかじるより、原則としてひとつのものにじっくり取り組むほうが効果的です。

1)シンクロリーディング
練習用の教材が決まったら、まず最初はテープを聞きながらテキストを黙読します(標準2回。ただし、必要に応じて2回以上行ってもよい。以下同))。なお、黙読の代わりに小さな声で音読してもかまいません。。このステップは、文字と音を頭の中で一致させ、教材テープの音声上の特徴とスピード感覚をつかんでおくのが目的です。この段階では意味のわからない語句がいくつかあっても気にする必要はありません。中級者はシンクロリーディングを省略し、2) のステップから始めてもかまいません。
 

2)プロソディーシャドーイング
次に、テキストを見ずにシャドーイングを行います(標準2回)。これは、ヘッドホン、または両耳イヤホンを使って行いますが、自分の声をよく聞きながらやるために、片方をずらして練習してもかまいません。この段階では、まだ意味取りは特に意識せず、原文のリズムに乗って、聞こえたとおりに忠実に「音」を再現することを中心にします(これをprosody shadowingと呼ぶ)。すでに述べたとおり、シャドーイング練習の第1の目的は、正確な聞き取りの基礎となるプロソディー感覚の養成ですから、とりあえず意味がわからなくてもかまわないわけです。あくまでも「音」を中心に練習し、何回か繰り返していくうちに自然に意味もわかってくるというのが理想的な形です。また、意味を取ろうという意識があまり強すぎると「音」への配慮がおろそかになり、いわゆる棒読みのようになってしまうことがあります。せっかくきれいな英語を聞いているのに、これを復唱するときには単なる字面だけの再生になってしまったのでは練習になりません。なお、ここで自分のシャドーイングを別のテープレコーダーに録音しておき、後でこれを再生チェックすることによって、実際に自分がどの程度、原文のプロソディー諸要素を正しく聞き取り、再現できているかがよくわかります。

3)テキストのプロソディー分析と語句の確認
次にテキストの語句の確認とプロソディー分析を行います。ここでは、まずテキスト中に含まれる未知語、およびプロソディーシャドーイングでは意味がとれなかった(自然に入ってこなかった)語句の意味を確認しておきます。次に、テキストを読みながら、センテンスごとに語強勢と文強勢、イントネーション、ポーズ、音の連結、弱化、脱落などのプロソディー諸要素についてそれぞれ適当な記号を入れながら分析していきます。特に、2)できちんと聞き取れなかったり再現できていない個所を重点的にチェックします。なお、このチェックのためには基礎的な音声文法に関する知識が必要になります。また、後述の 5)〜6)でも同じように音声文法に関する知識が要求されます。したがって、あらかじめこの点についての学習をすませておく必要があります。もっとも、この練習をしながら音声文法に関する学習も並行して進めていくということでもかまいません。

4)コンテンツシャドーイング
次に、もう一度、テキストを見ずにシャドーイングを行います(標準2回)。今度は文章の内容もきちんと理解しながら行います(これをcontents shadowing と呼ぶ)。ただし、あくまでも原文のプロソディーは崩さないように注意します。この練習も標準は2回ですが、うまくできるようになるまで、必要に応じて何回でも繰り返してください。

5)テキストの音読
内容を理解しながらきれいにシャドーイングできるようになれば、これで練習を終了してもかまいません。ただし、最終的にはモデル音声なしでも原文のプロソディーをきちんと再現できるようになることが目的ですから、これを確認するために、次にテキストを音読し、原文のプロソディー要素をきちんと再現できているかどうかチェックします。必要に応じて何回か音読を繰り返し、うまく読めるようになったら、自分の音読をテープに録音します。なお、外国語学習における音読の重要性についてはこれまでにもたびたび指摘されているとおりですが、音読は、適切な指導がないまま自己流で行うと、練習すればするほど自分の読みの欠点が強化されてしまうことになりかねません。したがって、自習課題として音読練習をする場合は、あらかじめ基礎的な音声文法についての学習をすませておくことをお薦めします。

6)音読テープのチェック
最後に、上記の録音テープを聞き直し、自分の読みの欠点やクセを分析します。必要に応じて上記 3)〜5)のいずれかに戻り、納得するまで音読練習を繰り返したのち、練習を終了します。

7)練習終了
以上が、シャドーイングを中心にしたプロソディー強化訓練の標準パターンです。なお、時間がない場合や、できるだけ多くの英文を聞き込みたいという場合には、このうち「プロソディー分析」と「音読」のステップを省略した「簡略演習パターン」(表2フローチャート参照)でもかまいません。ただし、原則として「シャドーイング」「プロソディー分析」および「音読」はワンセットの作業だと考えてください。
 

(省略:以下のサイト参照)
 

      http://www.someya-net.com/kamakuranet/Babel-TsuyakuSeminar/unit-8.html

 

表2  シャドーイングを中心にしたプロソディー強化訓練の方法

ここまで、まず、現在一般に通訳訓練の場で採用されている各種の訓練手法・項目のうち、特にシャドーイング、リテンション=リプロダクション、クイックレスポンス、およびパラフレージングという4つの代表的な個別技能訓練項目に焦点を当て、その「通訳訓練」としての妥当性について論じてきました。すでに明らかなとおり、これらの訓練項目は、かならずしも通訳者としての能力や技術の向上に直接結び付くものではなく、むしろ、やり方によっては害になる可能性があります。ただし、これを「英語力強化のための学習方法」として見た場合には一定の効果が認められます。したがって、むしろそのようなものとして積極的に位置付けていくことによって、より洗練された語学学習・指導手法として一般の英語学習者、あるいはその指導に当たる教師に提案していくことができるように思います。本稿では、その一例として、シャドーイングを「プロソディーセンス養成・強化のための学習法」として位置付け、その具体的な学習方法について解説しました。もちろん、前記のリテンション=リプロダクション、クイックレスポンス、パラフレージングを始めとして、このほかにも一般向けの語学学習法として提案できるものがたくさんありますが、これについては、また別の機会にお話しさせていただくことにします。なお、本稿の内容に関するお問い合わせやご意見、ご批判は、電子メール (someya@someya-net.com) にて筆者宛てに直接お寄せいただけると幸いです。
 


[注] 

[1] もちろん、実際にはかならずしもこれらのすべての項目がまんべんなくカバーされているわけではなく、また、それぞれの訓練目的や具体的な運用方法については指導者によってかなり違っているが、ここでは、とりあえず項目だけを列挙しておく。なお、本稿では特に注記がない限り、「英日通訳」、および「英語学習」を念頭に置いて議論を進めていく。
[2]ちなみに、通訳初級から中級クラスの生徒が特に大きな問題なしに記憶し再現することができる平均的な「短期記憶容量」の上限は、語数にしておよそ15語前後である。もちろん、これは語彙や構文の難易度、および内容の親近性によって多少の幅はあるが、一般に、総語数が20語を超えると、ほとんどの生徒がその表層構造を正確に記憶し再現することができなくなる。そこで、この限界値をできるだけ高めるために「リテンション=リプロダクション」訓練を行うのである。これは、一時的に記憶できる語数が多ければ多いほど、通訳者として成功する可能性が高いと考えられているためであるが、いわゆる「短期記憶容量」を単なる語数で計るのが妥当であるとは思われない。また、この考え方は、そもそも「記憶」のメカニズムに対する洞察を欠いたものであると言わざるを得ない。前述のとおり、いわゆる「機械的短期記憶容量」には明確な限界があることは明らかであるが、一方で、われわれは、この限界をはるかに超える量の情報を短期的に記憶し再現することができるのもまた事実である(「通訳」が可能なのはそのためである)。これは「文処理のある段階で非意味的(=音韻論的、統語論的、形態論的)情報が忘れ去られるから」である。船山は Lyn Frazier のこのような仮説を引用し、「人が他人の話を聞いて理解するとき、どのような構文でどのような語句を使ったかについて長く記憶しておくことは極めて難しい。しかし、話の内容についてはかなり長く保持しておくことが可能である。つまり、保持は表現レベルではなく、何らかの概念的、意味的なレベルで行われているように思われる」と述べている(『通訳理論研究』1996年10号, p. 5)。仮に、船山の推測するとおり、情報の保持が表現レベルではなく、何らかの概念的、意味的なレベルで行なわれているとすれば、まさに情報の表現レベルでの保持と再現、つまり「機械的短期記憶」の強化を求める「リテンション=リプロダクション」訓練は、通訳訓練の基本的な立場に逆行するばかりでなく、記憶そのもののメカニズムにも反するものであると言わざるを得ない。
[3] 指導者によっては、一連の語句群をひとつづつ順番に訳出させる代わりに(あるいは、それに加えて)1語から数語づつずらしながら訳出するという訓練を取り入れているケースもある。これは、「クイックレスポンス」に「リテンション」強化の要素を加えたものということになるが、訓練としての比重はより後者に傾いたものになり、さらに「聞きながら話す」という新たな側面が加わることから、シャドーイングと同じく、同時通訳のための基礎訓練という位置付けをされることもある。
[4] ただし、語句単位のクイックレスポンス訓練は、原則として1対1対応(1語1義)で処理できる数字や公共機関・団体名、あるいは一部の成句などへの反応力訓練としては有効である。特に、数字への正確かつ迅速な反応力は通訳者にとって必須の能力であり、しかも生徒が最も苦手とする分野であることから、数字への反応力訓練としてのクイックレスポンス訓練は通訳訓練の過程において、もっと積極的に取り入れられてしかるべきものである。
[5] なお、対象となるテキストがパラグラフ単位の長文である場合は、通例「要約再現」ということになる。したがって、センテンス単位の言い換え練習を paraphrasing(またはsubstitution)と呼び、パラグラフ単位の長文を対象にした練習をsummarizationと呼んで両者を区別することもある。
[6] 水野(1996: p.51)
[7] オリジナルへの忠実さ」というのは、「原文への忠実さ」という意味ではなく、そのセンテンスなり発言なりで表現された(あるいは表現されようとした)本来の意味や意図への忠実さという意味である。もちろん、実際問題としてはいかなる意味でも完全な忠実さは不可能であって、ここではあくまでも基本的な姿勢としての忠実さについて言及している。原文にはない表現を追加したり、その一部を削除、または別の表現へ言い換えるなどの操作は、この基本姿勢を具体的に実現するための方策としてのみ許容されるべきものである。一般に、通訳者にこのような自由、ないし裁量権が与えられているのは、通訳者が意図的に原発言を改変することはないというfidelity の原則に対する暗黙の了解があるからである。
[8] この「緊急避難的手法としてのパラフレージング」という概念は、とりわけ、日本語を母語とする初・中級クラスの生徒の「日→英」通訳・翻訳能力を養成する際の中心的な指導概念になり得る。例えば、「彼は驚異的な走力を備えている」という和文を、そのまま「驚異的」「走力」「備える」という表現を使って英訳するのは、初・中級クラスの生徒にとってそうたやすい作業ではないが、これを「彼は/とても早く/走る」というようにパラフレーズすることで、He runs very fast. というごくシンプルな英文に置き換えることができる。同じように、「庭には薔薇の花が一輪、華麗に咲き誇っていた」といった修飾過多の和文を、その表層構造ごとそのまま英文に移植するのは至難の技であるが、これを例えば「庭に/きれいな薔薇が/ひとつあった」とパラフレーズすることで、There was a beautiful rose in the garden. という簡素な、しかし十分に informativeな英文を得ることができる。ここでの「パラフレーズ(同一言語内パラフレーズ)」とは、「原文を必要最小限の構成要素に還元する作業」と定義することができる。もちろん、これによってかならずしも通訳や翻訳の質がよくなるわけではないが、このような訓練を通じて、発言の形式にこだわるのでなく、その実質を抽出するという、通訳者にとって最も重要な能力と姿勢を養うことができるものと考えられる。
[9] 渡部 (1991: p.441)
[10] 熊切 (1995)
[11] 実際の同時通訳では、ある語句またはセンスグループを聞いても、すぐには反応 [訳出]しないことが珍しくない。場合によっては、原文にある語句を表面上はまったく訳出しないこともある。これは、聞いた言葉に反応しているからでなく、その文脈的意味に反応しているからである。シャドーイングではこのような文脈的対応の可能性はあらかじめ封じられている。いくら「意味を理解しながら」シャドーイングしなさいと言っても、実際の反応は語句レベルでせざるを得ないのである。
[12]染谷泰正 (1996: pp.46-58)
[13] もっとも、別の箇所ではむしろこの意味でのシャドーイングの効用を積極的に認めるような記述もあり、かならずしも研究グループとしての見解が一貫しているわけではない。
[14] 以下の内容は、染谷泰正 (1994-5)に執筆したものを一部変更して掲載したものです。
[15] 鈴木 (1992)より引用。ちなみに、この論文には、音声コミュニケーションにおけるプロソディーの重要性を示す興味深い実験が紹介されており、さらに、その分析結果に基づいて、日本人に英語を指導する際の示唆に富んだ提言が盛り込まれている。
[16] 通勤・通学電車の中などでシャドーイング練習する場合のように、大きな声を出せないときには頭の中で声を出しながら練習する(これをsilent shadowing と呼ぶ)

[参考文献]
Hendrickx, Paul V. (1971). Simultaneous interpreting: a practice book. Longman.
船山仲他 (1996)「同時通訳における処理単位について」『通訳理論研究』1996年第10号 (pp. 4-13)
水野的 (1996)『放送通訳講義』(unpublished manuscript)。
渡部昇一 [研究代表者] (1991)『外国語教育の一環としての通訳養成のための教育内容方法の開発に関する総合的研究』文部省助成科学研究報告書
熊切康雄 (1995) 「通訳基礎講座 (16)」『通訳翻訳ジャーナル』1995年7月号
染谷泰正 (1996)「日本における通訳者教育の問題点と通訳訓練に必要な語学力の基準」『通訳理論研究』第10号 (pp. 46-58)
染谷泰正 (1994-5)「通訳訓練メソッドによる目標別英語力増強講座」「『翻訳の世界』(バベルプレス1993年12月号 (pp.130-134)
鈴木博 (1992)「言語技術としてのプロソディー」『言語』大修館1992年8月号 (pp. 38-45)


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(c) Yasumasa Someya, 1996